大田区で祖母の葬儀を行いました

幼いころからずっと一緒だった祖母が病気に

大田区 葬儀 | 葬儀

幼いころからずっと一緒だった祖母が病気に家族葬でゆっくりと天国に送ることができた

両親が共働きだったので幼いころは祖母が私の面倒を見ていました。
面倒見がよくて、優しい祖母が私も大好きでどこに行くのも一緒に過ごしていました。
年頃になり思春期を迎えて両親と衝突が多くなってきた時期にでも、祖母にだけは心を開くことができたのです。
祖母の部屋に入り学校であった出来事や部活のことなどを相談したり、愚痴を言ったりしていました。
そんな祖母も高齢になり病気になってしまいました。
完治することがない病であったために、初めてそのことを知った時には涙が止まりませんでした。
「死んでしまうかもしれない」と思うとつらかったのです。
若かったら手術もできたのかもしれませんが、体力のない祖母のには手術をすることもできず、薬を服用するぐらいでしか治療はできませんでした。
元気だったころは、家から徒歩10分ぐらいのスーパーに毎日カートを引いて出かけていたのですが、発病して半年ぐらいたったころから家にこもりきりになりました。
それでも、私が部屋に来ると二人でテレビを見たり、たわいもない会話をして過ごしていました。
亡くなる一か月前頃から寝たきりの状態になってしまい、大学生だった私もアルバイトと学業の傍ら、トイレに行けない祖母のおむつを替えたり、食事の世話などをしていました。
父と母と私の三人で交代で看病していたのです。
医師からは「大変だから入院させたらどうかな?」という打診もありましたが、「祖母がさみしいだろうから」と在宅医療のまま続けていました。
身近で弱っていく姿を見るのはつらかったのですが、「○○ちゃんがそばにいると元気が出るね」と祖母も嬉しそうでした。
亡くなる三日前からは昏睡状態が続いたので、私も家族も満足に睡眠をとることができないまま過ごしていました。
昏睡状態の後、眠るように祖母はなくなり、悲しみに浸る時間もなく葬儀屋さんに連絡を入れることになりました。

セ◯マの方が故人の年金手続きとかの説明に来てはって、頑張って両親に営業してはるのを隣の部屋で聴いてるなう。
お葬式って、自分らで仕組みを知っておいて、必要最低限のものに何をプラスするかっていう考えでいないと向こうに勧められて結果的に選ばされて高くなる事を今学んでいる。

— あや⊿ (@nyanchu27) 2018年7月9日